祇園祭

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祇園祭



京都三大祭の一つである祇園祭は、
無病息災を願い、1か月にわたって行われる八坂神社の祭礼で、
1100年の伝統を持っていて、豪華で壮大な祭です。

祇園祭の由来や歴史、宵山や山鉾巡行などの行事についてご紹介します。




祇園祭は、大阪の天神祭・東京の神田祭(または山王祭)とともに、
日本三大祭の一つとして、また、埼玉の秩父夜祭・岐阜の高山祭とともに、
三大曳山祭り・三大美祭 の一つに数えられます。

毎年7月1日から31日までの間、1か月にわたって、宵山や山鉾巡行、神幸祭など
多彩な祭事が、京都市内や八坂神社で行われます。

山鉾巡行では、たくさんの文化財を乗せて巡ることから、動く美術館とも称されて
います。



◆八坂神社


斉明天皇2年(656)朝鮮半島から渡来した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)が
新羅の国牛頭山に祀られる素戔嗚尊をこの地に移し、天智天皇6年(667)に、
「感神院」としたことに始まると伝えられています。

また、貞観18年(876)に、僧・円如(えんじょ)が、播磨国広峯の
牛頭天王(ごずてんのう)の分霊を遷し、藤原基経が精舎を建立したことに始まる
という説など、創建についていくつか説があり、はっきりしないようですが
祭神は古くから牛頭天王(またはそれに習合した素戔嗚尊)でした。

御祭神として、
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
八柱 御子神(やはしらのみこがみ)
を祀っています。

明治時代以前の御祭神は、
牛頭天王(ごずてんのう)
沙竭羅竜王(サガラリュウオウ)
頗梨采女(ハリサイニョ(ウネメ))
であり、牛頭天王は仏教の守護神で、日本では素戔嗚尊と同神とされてました。

頗梨采女はその妻、沙竭羅竜王は頗梨采女の父で、牛頭天王は祇園精舎を
守護するとされていました。

素戔嗚尊は、出雲の国、簸川(ひのかわ)の上流に住みついて民衆を苦しめていた
八つの頭と八つの尾をもった八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して、
捕らわれていた櫛稲田姫を救い、幸いをもたらしたといわれる、偉大な神さまです。

櫛稲田姫は後に素戔嗚尊の妃になり、八柱御子神(八王子)を生んだと
されています。

日本全国に約2300社ある、素戔嗚尊を祭神とする神社の総本社です。

八坂神社は「祇園社」「祇園感神院」と呼ばれていましたが、明治元年の
神仏分離令(廃仏毀釈運動)によって、「八坂神社」と改められました。

素戔鳴尊が旅をされた時に、一夜の宿を提供して厚くもてなした
蘇民将来(そみんしょうらい)の真心を喜ばれ、諸々の災難、疫病から子孫共々
免れるといって『蘇民将来子孫也』と書いた茅の輪を残して立ち去られたという
故事があり、八坂神社は災難厄除け、家門繁盛の神様として知られています。

本殿と拝殿を一つの屋根で覆った「祇園造」といわれる本殿や、本殿の西方の
切妻造の楼門(西楼門ともいわれる)は、重要文化財に指定されています。

本殿の南側にある石鳥居は、正保3年(1646)の建造とされていて、現存する
石造りの鳥居では最大のものといわれ、これも重要文化財に指定されています。


素戔鳴尊が旅をされた時に、蘇民将来は一夜の宿を 厚くもてなした蘇民将来の
真心を喜ばれ「蘇民将来子孫也」と記した護符を持つ者は、疫病より免れしめると
約束されたという故事にちなんで、祇園祭では「蘇民将来子孫也」の護符を
身につけて祭に奉仕します。





◆祇園祭の由来と歴史


古代の都は、人口が多く不衛生だったため、たびたび疫病が流行し、人々は疫病を
最も怖れていました。

疫病の原因は、疫神であるとともに、政争で破れるなど、現世に恨みを残して
亡くなった人々の怨霊の祟りであると考えられ、その怨霊と疫神を鎮め慰めるため、
神仏に祈りをささげる、御霊会(ごりょうえ)が、都の各地でたびたび行われるように
なりました。

祇園祭は、当時の国の数と同じ、66本の鉾を立てて、疫病を退治する神、
牛頭天王(素戔嗚尊)を祀る祇園社の御霊会(祇園御霊会)が、貞観11年(869)に
平安京の広大な庭園だった神泉苑で行われたのが始まりだといわれています。

天禄元年(970)頃から八坂神社の祭礼として毎年7月に行われるように
なりました。

(明治維新までは「祇園社」の「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」、
略して「祇園会(ぎおんえ)」と呼ばれていました。)

祇園社の御霊会「祇園会」は、中世前期までは、3基の神輿、13本の馬上鉾、
5匹の神馬、獅子舞、巫女の神楽、田楽の行列が、旧暦の6月7に、祇園社から
大政所のお旅所(祭礼での祭神の巡幸時に、仮に神輿を鎮座しておく場所)へ渡り、
14日に祇園社に戻るという日程で行われていました。

約500年続いた祇園会は、応仁の乱(1467年)により途絶えましたが、
明応9年(1500)に、町衆の手で再興されました。

応仁の乱以前の58基の山鉾のうち、27基の山鉾が復興しました。

また、それまで巡行の順番を巡って町人の間で争いが絶えなかったために、
この頃から、くじで順番を決めるようになりました。
これが、現在の祇園祭にも残っている「くじ取り式」の起源です。

祭りでは、歌舞や相撲などのにぎやかな催しが行われるなど、年々変化して民衆の
楽しみの一つとなり、鉾はますます豪華になって、規模も山鉾も大きくなりました。

江戸時代になると、大政所のお旅所が現在の四条京極に移転して、神事・行事の
内容ともに現在に近い内容に固定化されて、現在の祇園祭の原形となる祇園会が
できあがりました。

豪華な装飾品などにより、祭りは一層華やかになりました。

幕末の元治元年(1864)の禁門の変によって起きた大火「どんどん焼け」で多くの
山鉾が焼失して復興されないまま、明治元年の神仏分離令で、祇園社は
「八坂神社」として、神道の社へ変わり、祇園会は「祇園祭」として残りました。

また、明治10年に、巡行日程が、現在の太陽暦の7月14日と24日の山鉾巡行に
変わりました。

その後、第二次世界大戦でも祭りは自粛されましたが、昭和21年に、祇園囃子が
八坂神社に奉納されて、翌年には、2基の鉾が復活しました。

昭和31年には巡行路を変更して、昭和41年からは、それまで前祭と後祭の2回
行われていた祭りを、前祭の7月17日に一本化して、後祭の日には山鉾巡行の
代わりに「花笠巡行」が行われるようになりました。

争いや大火によって何度か中断したものの、
町衆の力によって祭りの伝統は現代まで守られ、
現在は、23基の山と9基の鉾が参加しています。




◆祇園祭の主な行事・祭事の流れ


日程

7月 1日~5日 吉符入
   2日 くじ取り式
  10日 神輿洗神用水清祓式、お迎提灯、神輿洗式
  10日~14日 鉾建て、山建て
  13日 稚児社参
  13日 久世駒形稚児社参(午後)
  14日~16日 宵山
  15日 宵宮祭
  14日~16日 祗園囃子
  16日 日和神楽
  17日 山鉾巡行
  17日 神幸祭(神輿渡御)
  24日 花傘巡行
  24日 還幸祭(神輿渡御)
  28日 神輿洗式
  29日 神事済奉告祭
  31日 八坂神社疫神社夏越祓


●吉符入り (きっぷいり)

祇園祭の神事始めのことで、各山鉾町で祭神を祭ってお祓をして祭りの無事を祈り
神事の打ち合わせをします。

●くじ取り式

17日の山鉾巡行の順番を決めるために、各山鉾町の代表者がくじをとる式が、
京都市役所で行われます。

ただし、長刀鉾・函谷鉾・放下鉾・岩戸山・船鉾・北観音山・橋弁慶山・南観音山の
8基は「くじ取らず」と呼ばれ、毎年の順番が決まっています。

くじ取らずの順番・・・
「さきの巡行」の先頭:長刀鉾、5番目:函谷鉾、21番目:放下鉾、22番目:岩戸山、
23番目(さきの巡行の最後):船鉾、「あとの巡行」の先頭:北観音山、
2番目:橋弁慶山、9番目(あとの巡行の最後):南観音山 です。

●神輿洗神用水清祓式

午前10時頃、鴨川の水を使って、「神輿洗式」に使用する神用水のお祓いを
します。

●お迎提灯

「神輿洗式」の神輿を迎えるために提灯を立て行列を整えて、八坂神社→
河原町四条→市役所→寺町通→東大路通→神幸道→八坂神社へと巡行します。

市役所前と、巡行最後の八坂神社では、舞踊を奉納します。

●神輿洗式

午後5時頃から本殿で神輿洗奉告祭が行われ、大松明をかついで四条大橋まで
往復して、神輿の通る道を清めます。

午後7時30分頃に、神輿3基を舞殿に据えて、その内の1基(中御座(なかござ))を
担いで松明で照らしながら、鴨川四条大橋の上まで行き、神職が鴨川の水を
掛けて、神輿と担ぎ手神輿を清める儀式を行ないます。

その後八坂神社へ戻り、10日の神輿洗式では、17日の神輿渡御にそなえて、
3基の神輿を飾り付けます。

また、28日の神輿洗式では、八坂神社へ戻った後、神輿庫に収められます。

この神水をあびると流行病にかからないといわれています。  

●鉾建て、山建て (ほこたて、やまたて)

各山鉾町で、「縄がらみ」といわれる伝統技術で、釘を一本も使わず、
全て縄を使って山・鉾を組み上げていきます。

●稚児社参

長刀鉾稚児が立烏帽子の姿で八坂神社に参詣して「正五位少将」(大名と同等)の
位を授かる神事が行われます。

これ以降稚児は、17日の巡行まで身を慎み、女子の手を一切借りません。

長刀鉾には、現在では唯一、稚児が乗りますが、他の鉾では人形となっています。

17日の山鉾巡行では、金襴の振袖に紋織りの袴と鳳凰の天冠の姿で長刀鉾の
正面に乗り、太平の舞を舞います。

●宵山(よいやま)

各山鉾町では山鉾を飾って駒形提灯を灯し、
祇園囃子(ばやし)を奏でます。

各山鉾町の町会所では、山鉾を飾る豪華な
秘蔵の品々が展示され、各々の山鉾に
ゆかりのある粽やお守りなども販売されます。

また、各山鉾にはそれぞれの御朱印も
置いてあります。

各山鉾町の旧家や老舗では、
屏風(びょうぶ)や着物などの所蔵品が美しく飾られて、山鉾参観者に披露され、
別名屏風祭(びょうぶまつり)とも呼ばれます。

●宵宮祭

八坂神社の境内の灯をすべて消して、舞殿に奉安する3基の神輿に神霊を
うつします。

●日和神楽

翌日の山鉾巡行の晴天を願って、山鉾町から四条御旅所の間を、祇園囃子を
奏でながら往復し、長刀鉾町は八坂神社にて囃子を奉納します。

●山鉾巡行

宵山で展示されていた品々で豪奢に飾られた山鉾が、長刀鉾を先頭に、
32基の山鉾が次々と四条烏丸に集まります。

くじで決まった順番に並び、祇園囃子とともに、所定のコースを優雅にゆっくりと
巡行していきます。

四条通り→河原町通り→御池通り→新町通り と巡行し、新町通りで解散します。

四条烏丸交差点では、道に割竹を敷き詰めて水を撒き、その竹の上で雄大な鉾が
力強く方向を変える「辻回し(つじまわし)」が行われ、山鉾巡行の最大の見所の
一つとなっています。

巡行が終わると、山鉾たちは解体されます。

●神幸祭 (しんこうさい)(神輿渡御)

10日の神輿洗と15日の宵宮祭を経て「東御座(ひがしござ)」「中御座(なかござ)」
「西御座(にしござ)」の3基の神輿に神霊をうつされた神々が、八坂神社から
山鉾巡行で浄められた四条寺町にある御旅所へ、各氏子町を渡る神事です。

山鉾巡行の日の夕刻から、八坂神社を出発して鴨川を渡り、京都市内を通って、
四条通りの四条御旅所へ渡られます。

そして24日までの7日間御旅所に滞在され、京都の街から災厄を祓われます。

3基の神輿と神々

中御座(六角形)- 素戔嗚尊 (すさのおのみこと)
東御座(四角形)- 櫛稲田姫命 (くしいなだひめのみこと)
西御座(八角形)- 八柱神子神 (やはしらのみこがみ)

●花傘巡行 (はながさじゅんこう)

午前10時に、花を飾った山や、花傘をかぶった女性、鷺を装った男性などの列が、
八坂神社を出発して、京都市役所の間の所定のコースを華やかに巡行します。

12時頃に八坂神社に到着し、舞踊等の奉納を行ないます。

この花笠巡行には、祇園の舞妓も参加します。

●還幸祭 (かんこうさい)(神輿渡御)

午後5時頃から、四条通りの四条御旅所に滞在しておられた神輿と神々が、
7日間の滞在を終えて、各氏子町を渡って八坂神社へ還られる神事です。

3基の神輿と神々は、少しずつ時間をずらして四条御旅所を出発され、それぞれ
所定のコースを経て、三条御供社で、神輿に灯をともし、祭典が行われ、
午後10時頃に八坂神社へ還幸されると、神霊が神輿から本社に還され、祭典が
行なわれます。

また神輿に伴って、宮本講社神宝奉持列が巡行します。

●無言詣り

古くから祇園の花街の舞妓・芸姑さんの間では、3基の神輿に神霊をうつされた
神々が四条御旅所に滞在される、17日の神幸祭から24日の還幸祭7日間、
誰とも言葉を交わさず御旅所をお参りすると願いが叶うといわれてるそうです。

●神事済奉告祭

祇園祭の終了を奉告して、神の恩恵に感謝する祭事が、八坂神社で行われます。

●疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしまつり)

八坂神社の境内にあり、蘇民将来を祀る「疫神社」の鳥居に、素戔鳴尊が一夜の
宿を提供して厚くもてなした蘇民将来(そみんしょうらい)の真心を喜ばれ、諸々の
災難、疫病から子孫共々免れるといって『蘇民将来子孫也』と書いた茅の輪を残して
立ち去られたという故事に習って、大きな茅輪を設けて、参拝者はこれをくぐって
厄気を祓い、「蘇民将来子孫也」の護符を授かります。




◆祇園囃子(ぎおんばやし)

鉾の上で囃される祇園囃子は、各鉾独特の囃子で(一部共通する場合もあります)
室町時代から始まり、能楽の影響を強く受けていて、江戸時代には今のような
囃子になりました。

楽器は鉦(かね)・太鼓・笛の3つで、各鉾で30曲くらいの囃子があります。


◆ちまき

宵山の時に、各々の山鉾で、
それぞれの山鉾ごとに御利益の異なるちまきを
売っています。

笹の葉をイ草で巻いて束にしたもので、
疫病災難除けのお守りとして家の門につるして
翌年の祇園祭で新しいものと交換します。

素戔嗚尊が蘇民将来へのお礼として
与えられた「茅(ち)の輪」が「ちまき」に
なったといわれ、ちまきには疫病災難除けの
ご利益があるとされています。


◆各山鉾のお守り

各山鉾では山鉾の由来ごとに異なるご利益のお守りが販売されています。
疫病よけ、火よけ、雷よけ、安産、交通安全、立身出世、勝ち運、などそれぞれに
異なるご利益があります。


◆「えび」

山鉾は、「縄がらみ」といわれる伝統技術で、釘を一本も使わず、柱、筋交い、を
縄のみで固定して、全て縄を使って組み上げられます。

「えび」「チョウ」「鶴」「亀」結びなどいろいろな形の縄がらみが有り、
組立を担当する人たちが記念として持ち帰ります。


◆行者餅

疫病が流行った頃にこれを食べて、災厄から免れたといわれるお菓子で、
祇園祭にちなんで1年に1度、7月16日のみ作られるお菓子です。

餅と山椒味噌風味の餡をクレープ状の皮で巻いてあり、無病息災を祈念して作る
お菓子です。


◆祇園祭と胡瓜

胡瓜の切り口と八坂神社の紋が似ているという理由から、祇園祭1か月間は、
祇園祭に関係する人は、胡瓜を口にしないそうです。



 
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