葵祭

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葵祭



葵祭



京都三大祭の一つである葵祭は、
平安時代以来、国家的な行事として行われていて、
日本の祭のうちで最も古趣に富んだ祭として知られています。

平安朝の平安貴族を表す、総勢500名以上の優雅な古典行列は、
京都御所を出発して下鴨神社を経て、上賀茂神社へ向かいます。

葵祭の起源や歴史、祭儀などについてご紹介します。



●上賀茂神社(かみがもじんじゃ)


正式には賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)といいます。

下鴨神社と並んで、京都で最も古い神社の一つです。

賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに、
古代賀茂氏の氏神を祀る神社です。

祭神は賀茂別雷神(わけいかづちのかみ)で、
賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭神、玉依媛命の
子であるとされています。

雷神が神社の神山に降臨され、天武天皇6年(678)に本殿に鎮座され、社殿が
造営されたと伝えられています。

天平17年(745)に天皇の病気治癒祈願が行われてから、皇室との関係が深く、
平安時代には皇城鎮護の守護神として尊ばれました。

三間社流造(さんげんしゃながれづく)りの本殿と権殿は国宝で、
文久3年(1863)に造替されたものです。

社殿の多くは重要文化財で、世界文化遺産に登録されています。





●下鴨神社(しもがもじんじゃ)


正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)といいます。

賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに、古代賀茂氏の氏神を祀る神社です。

上賀茂神社祭神の賀茂別雷命の母にあたる、玉依姫命(たまよりひめのみこと)と
玉依姫命の父にあたる、賀茂建角身命(かもたけのつぬみのみこと)を
祀っています。

一説には、天平の頃に上賀茂神社から分置されたとされ
上賀茂神社とともに、奈良時代以前から朝廷の崇敬を
受けました。

延暦13年(794)、平安遷都の頃から皇室との繋がりが
強くなり、やがて伊勢神宮と同様に齊王がおかれ、
皇女が神社に奉仕しました。

文久3(1863)年に造り替えられた本殿は国宝に指定されていて、重要文化財の
社殿が建ち並び、世界文化遺産にも登録されています。

本殿の西側には重要文化財の「大炊殿」があり、神様へのお供え物を調理する
場所です。

御手洗社(みたらしのやしろ)は、井戸の上に祀られることから井上社とも言われ、
葵祭の斎王代の禊ぎが、御手洗社から湧きだす清水を使って行われます。

御手洗池から湧き出る泡からのかたちから「みたらし団子」が生まれたといわれ、
ここが発祥の地とされています。




◆葵祭の起源と歴史


567年の欽明天皇の頃、国内では激しい風雨で、五穀が実らず、占いによれば、
賀茂の神々の祟りであるということだったので、4月の吉日に祭礼を行ったところ、
風雨はおさまり、五穀は豊かに実って国民も安泰になったということが起源と
されています。

葵祭は、平安京建都(794)の百年以上前から上賀茂・下鴨両神社の祭礼として
行われ『賀茂祭』と呼ばれていました。

当時は勇壮な祭りで、その荒々しさを見るために近隣近郷から多くの人馬が集まる
有名な祭礼でした。

平安時代に入り、嵯峨天王の時代になると、賀茂祭は、石清(いわしみず)八幡宮の
岩清水祭や春日祭とともに三大勅祭(ちょくさい:国の祭)となりました。

岩清水祭が『南祭』と呼ばれるのに対して、賀茂祭は『北祭』と呼ばれるようになり、
一層、著名な祭となりました。

この頃から賀茂祭は雅びやかな祭りに変化して、多くの人が美服、美車で参加し、
都大路を賀茂神社にむけて行列するようになりました。

その後、この行列は一層華やかさを増し『源氏物語』『今昔物語』『徒然草』などの
多くの書物に登場するようになります。

華麗で美しく飾られた、衣服や牛車(ぎっしゃ)で、華々しく
行われていた行列ですが、中世に入ると、財政難により
華やかさはだんだんと失われていきました。

1467年から11年間続いた応仁の乱によって
中止されましたが、二百年以上後の元禄七年(1694)に、
華々しい行列が再開され、牛車、勅使、供奉者の衣冠など
すべてを、葵の葉で飾るようになり、『賀茂祭』は『葵祭』と
呼ばれるようになりました。

明治の東京遷都では一旦衰退しましたが、明治17年(1884)から再び
行われるようになり、この時から5月15日が祭日となりました。

第二次世界大戦後は昭和28年から再開されています。



◆祭儀


祭儀は、宮中の儀、路頭の儀、社頭の儀の三つからなり、現在は路頭の儀と
社頭の儀がおこなわれています。

◇路頭の儀(行列)

行列は、勅使を中心にした本列と、女人列といわれ斎王代を中心にした斎王代列に
わかれ、勅使をはじめ検非違使、内蔵使など、平安貴族の姿で列をつくり、
京都御所を出発します。

総勢500名、馬36頭、牛4頭、牛車2台、輿1台の王朝行列が、約8キロにおよぶ
道のりを、下鴨神社を経て、上賀茂神社へ向かいます。

本列・・・
乗尻(のりじり、昔の賀茂競馬の騎手)の騎馬6騎を先頭に、平安京の警察であった
検非違使(けびいし)と山城国(現京都)を治めていた山城使(やましろつかい)と
従者たち 、御幣物を管理する内蔵寮史生(くらりょうのししょう) 、馬を管理していた
馬寮使(めりょうつかい)、紫の藤の花で飾られた牛車(ぎっしゃ)、勅使(ちょくし)と
勅使に従う舞人(まいびと)、歌をうたい楽器を奏する倍従(ばいじゅう)と
内蔵使(くらつかい)、花々で飾られた風流傘(ふりゅうがさ)

斎王代列・・・
高級女官で、花傘をさしかける命婦(みょうぶ)、
十二単(じゅうにひとえ)で腰輿(ようよ)に乗る斎王代、
騎馬で参向する斎王付きの巫女の駒女(むなのりおんな)、
雅楽を演奏する文官の蔵人所陪従(くろうどどころべいしゅう)、
葵・桂・桜・橘の飾りがついた牛車(ぎっしゃ)


◇社頭の儀

行列が、下鴨神社、上賀茂神社に到着した際に、それぞれの社頭で、勅使が
御祭文を奏上して御幣物を奉納する儀式です。

神馬の引き回し、舞人による「あずまあそび」の舞が奉納されます。



◆流鏑馬(やぶさめ)


馬で走りながら馬上から俵の的を弓で射ぬく行事で、平安時代以前の
葵祭(賀茂祭)の主要行事でした。

平安京ができる前の葵祭(賀茂祭)は、実際に猪などを追いかけて馬上から
騎射ぬいて腕を競い合うような、勇壮なものでした。

現在では、葵祭にさきだって、5月3日に下鴨神社でおこなわれます。

また、15日には2頭の馬でスピードを競い合う、『賀茂競馬(走馬)』が
上賀茂・下鴨両神社で行われます。



◆日程


5/3
下鴨神社にて 流鏑馬(やぶさめ)

5/4又は上旬の日祝
斎王代以下女人列の御禊(みそぎ)の儀

5/5
武射(ぶしゃ)神事

5/12
御陰祭、御阿礼神事

5/15
葵祭

◇葵祭当日

早朝・・・勅使を京都御所に迎えて宮中の儀がおこなわれ、勅使が御祭文と
御幣物(ごへいもつ)を授かります。

10時30分頃・・・路頭の儀の祭列が、京都御所正面の建礼門前から出発して、
堺町御門 → 丸太町通 → 河原町通を通り、下鴨神社へ向かいます。

正午前・・・下鴨神社へ到着すると、社頭の儀がおこなわれ、御幣物を献じて
御祭文を奏上し、東遊を奏して、走馬の儀がおこなわれます。

14時過ぎ・・・再び行列をととのえて、下鴨神社を出発して、
下鴨本通 → 洛北高校前 → 北大路通 → 北大路橋 → 賀茂川堤を通り、
上賀茂神社へ向かいます。

15時30分頃‥上賀茂神社へ到着すると、社頭の儀、走馬の儀がおこなわれます。







  
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